2012年4月2日月曜日

今、ラジオができることって何ですか? とりあえず、○○。/ウェブリブログ


Growing Reed   2011/09/25 O.A.

岡田「こんばんは、岡田准一です。今夜も始まりました、Growing Reed。この番組では毎週1つのテーマの専門家をお呼びして徹底的に質問。番組の終わりには考える葦として、僕もみなさんと一緒に成長したいと思います。
えー、今日のゲストは、評論家、編集者の荻上チキさんです。荻上さんは人文社会科学から自然科学、そしてカルチャーの最前線に立つ人たちによるコラムや連載、対談などを掲載するメールマガジン『αシノドス』の編集長をなさっております。著書に『ウェブ炎上』や『社会的な身体』など。共著の『いじめの直し方』、編著の『経済成長ってなんで必要なんだろう』など、様々な角度から現代社会を読み解いていらっしゃいます。えー、荻上さんはですね、なんと1981年生まれ。僕が1980年生まれですから、ひとつ上。完全に同世代の方なんですよね。なんかすごい面白い人っていうのを聞いてますが、どういう人なのかすごい気になります。そんな方が今、現代社会をどう見ているのか気になりますが、今日はメディア論� �してラジオについて訊いてみたいと思います。ネット全盛の今、若者のラジオ離れが問われている今、けれど震災で改めてラジオが見直された今、これからのラジオについて考えてみたいと思います。『今、ラジオができることって何ですか?』 J-WAVE Growing Reed、新しい一週間最初の60分、ぜひ一緒におつきあいください」

   *   *   *

岡田「荻上チキさん」
荻上「はい」
岡田「あのー、なんかすごい面白い人がいるよっていうのを、聞いて」
荻上「ホントですか」
岡田「僕の1コ下。1コ下ですよね?」
荻上「そうですね。僕は1981年生まれですね。岡田さん1980年生まれ」
岡田「80年生まれ。だからなんか、メディア論とかいろんなこう…社会とか政治とかそういうのも含めてですけどカルチャーも含め、そういうのでこう…ガンガン突っ込んで行く人で、同世代の人とか下の人がこの番組に出てくれることも、初めてに近いので、」
荻上「あ、ホントですか。光栄ですね、ありがとうございます」
岡田「なんであれなんですか?これ本名ですか?」
荻上「これペンネームですね、見事に。はい」
岡田「…なんでチキにしたんですか?」
荻上「チキは僕の本名を音読みにすると、チキになると」
岡田「あー」
荻上「もともとインターネットでブログをやってたんですけれども、ブログでは皆さんハンドルネームとかペンネームを名乗るのが割りと当たり前のように行われていたので、何か適当に名乗ろうかなと思ってチキとつけた。そしたら単にブログだけに留まらず、いろいろ物を書くようになったので、その名前を一生背負い続けることになったという…」
岡田「(笑)フフフ」
荻上「多分ね、30代後半ぐらいで後悔し出す名前だと思うんですけど、これは(笑)」
岡田「(笑) いつから、大学ン時からなんかやってますよね?」
荻上「そうですね」
岡田「ブログで、ガーってこういうことやったりとか」
荻上「そうですね。大学4年生の時ですか、あの…他の大学の授業とかを受けるのが好きだったんですよね」
岡田「はいはい」
荻上「他の大学の授業を他の人も受けてくれればいいのに。っていうふうに思ってたんですよ」
岡田「うん」
荻上「で、自分が他の大学の授業とか受けて、その授業の模様をレポートという形で書いて、共有すると。だから他の人も書いてくれっていうことで何人かに書いてもらって投稿すると。そういったサイトを最初に作ったのがインターネットで情報発信をする一つのきっかけでしたね」
岡田「ここにね、気鋭の論客って書いてあるんです」
荻上「(笑)便利な言葉ですねぇ」
岡田「(笑)自分で何と表しますか?」
荻上「自分でですか?自分は…」
岡田「何だと思ってるんですか?」
荻上「うーん。や、自分はやっぱり評論家ってそんなにその、何十年に何人もポコポコ出て来るような人ではないと思うんですね、職業として。だから若いというだけでアドバンテージになって、ある一定の期間発言することが出来てしまう業界でもあるわけですよ。ただし、この分野は自分にこそ発言出来るという何かテーマを持ったりとか、あるいはこういった目線で自分は持ってるんだ、発言してるんだ、世の中を見て行くんだ、っていうふうにアウトプット出来る目線を持っているか、きっとどちらかを持たざるを得ないような状況というか、お仕事でして。で、自分は新進気鋭というような肩書きというのは、呼ばれ方でもまぁ今年30になりますから、そろそろ捨てなくてはいけないなということで何々に詳しいっていうこと� ��言われるような評論家にならなきゃいけないなというのは常々思っていますかねぇ」
岡田「自分では何に詳しいと?」
荻上「一つはメディアですね、当然のことながら。メディア評論家と名乗るというか、呼ばれることもありますので、またあのー、ちょっと今日とはテーマが違うんですけども、最近は性風俗と言いますか、男女の色々な…特にアンダーグラウンドの状況で、特に女性の方が売春行為をしたりとか、あるいはやくざとかと絡んで色々なビジネスをしたりとか、そうしたことを今調査したりしているので、そうした分野もこれからはちょっとアウトプットで発言して行こうかなとは思ってますね」
岡田「うーん。元々何に興味があってこの仕事始めたんですか?」
荻上「んー、一番最初はですね、ネット上でいくつか論争が行われていて、他人が論争しているのを見たり聞いたりすると、ちょっとそれ違うだろうって思うようなポイントっていうのがいくつか出て来るわけですよね。で、それのポイントのいくつかの内、例えばフェミニズムとかですね、あるいはイラク人質事件とかですね、あるいはインターネットの登場をめぐる…例えば携帯電話とかパソコンとかゲームとか、そうしたものに対して意味づけの仕方がどうもおかしいぞと、特に年長世代のやってる議論がなんかこう…」
岡田「ズレてるとか…」
荻上「当事者目線から見てもズレてるなっていうのが一つと。今後の日本の為にも良くならないなっていうのが一つ。こういう風に疑問を抱いて行ったことが、評論家として書き続けて行こうと思った一つのきっかけですかねぇ」
岡田「うーん」

   *   *   *


点滅している馬鹿は何を意味する

岡田「まあ、そんな荻上さんのこう…今回、あれなんですよ、ラジオ。ラジオができることって何ですか?」
荻上「うーん、大きいテーマですねぇ」
岡田「これどう思いますか?ラジオ…ラジオ体験ってありますか?」
荻上「ラジオ体験ですか?子どもの頃からラジオはわりと聴いていましたよ」
岡田「テレビよりも」
荻上「テレビももちろんたくさん見てましたけど、自分の体験で言えば一番ラジオを聴いたなぁと思うのは、高校受験の時と大学受験の時ですかね」
岡田「うんうん」
荻上「受験の時にやっぱりテレビを見ていたら勉強は出来ないわけで、そんな時にラジオってコミュニティーというか、なんとなくその、コイツら!とか、オレ達とか、そういったなんとなく抽象的なツルむ仲間みたいなものを作ってくれるメディアで、やっぱり12月とか1月になってくると、ラジオのパーソナリティーの方が、『そろそろ受験本番ですよね、受験生の皆さん頑張ってください』みたいなことを言ってくれたりするわけですよね。そうすると受験生としての自分は大変励まされて、自分だけじゃない日本にはいろんな受験生の方がいて、そうした人も頑張ってるんだから自分も頑張ろうと、いうような感じで自分を励ますための仲間意識を作る為のメディアとしてラジオっていうのはわりと一生懸命聴いてましたかね」< br /> 岡田「今聴かれますか?」
荻上「今聴いてますね」
岡田「おー」
荻上「特にニュース番組とか、テレビなどでは流れないようなニュースコメントを載せてくれるような番組というのが非常に多いので、そうした番組はよく好んで聴きますかね」
岡田「あのー、荻上チキさんが思うラジオって何ですか?」
荻上「ラジオですか、うーん、あのラジオの歴史を振り返ってみると、約100年近い歴史があるわけじゃないですか」
岡田「うんうんうん」
荻上「でラジオって登場した時はちっぽけなオタク向けのツールだったんだけれども、それが1930年代から5、60年代頃までにかけてマスメディアになって行くわけですね。一家に一台、皆で聴いていくメディアだと。だから1950〜60年代前後のラジオというのは、多分皆のメディア、つまりマスメディアっていうような形容がものすごくピッタリなメディアだったと思うんです。しかし、60年代に入ってテレビにその座を奪われて、80年代から90年代ぐらいまで、例えば深夜ラジオっていうのが何となくラジオのイメージを形作って行くように、皆のものではないかもしれないけど、確実にオレ達のものではあるっていうふうにリスナーに思わせる為の道具、それがラジオだったと思うんですね。だから他の人たちは� ��いてないかもしんないけど、オレ達だけはこの番組を聴いている。で、この番組を聴いてるオレ達はそれだけで仲間である。そんななんかこう…共同意識というか連帯感を与えてくれるメディアが、これまでのラジオだったと思うんですよ」
岡田「うんうん」
荻上「しかし、ラジオがこれからどうなって行くのかって考える時に、この仲間を作る、特定の人たちをくっつけるっていう、そういったラジオの機能というのは、今変わりつつあるなーと思うんですよね。それは何故かと言えば、やはりそのインターネットが登場したことによって、ネットの方がオレ達っていうもの、仲間意識っていうものを作るメディアとしてものすごく優れたものとして出て来てしまっているから。なのでテレビにマスメディアの座を奪われて、今オレ達のメディアっていうような場所を奪われそうになっているのか、それともインターネットと一緒につきあって行くことによって、セットでオレ達っていうようなものを囲って行くメディアになって行くのかはちょっと分からないですね」
岡田「うん」
荻上「ただ僕にとってはやっぱり学生時代からの経験からして、オレ達のメディア、仲間内のメディア、そういったイメージがやっぱりラジオには強いですね」
岡田「うーん。ラジオ好きですか?」
荻上「好きですよ」
岡田「その好きっていう魅力は何なんでしょうね?」
荻上「うーん、やっぱり、例えばマスメディア…新聞に対して雑誌の方が、新聞では取り上げられないけれどもディープなネタを深掘り出来るっていう面があったりするわけですよね」
岡田「うんうん」
荻上「あるいはテレビに対してラジオっていうのもそういった面があって、テレビでは取り上げられないニュース、あるいはテレビではまだまだちょっと新人で出づらいお笑い芸人の方とか、ミュージシャンの方とか、そういった方も自分で番組を持てたりして、なんかこう…実験的に育てられながら、しかしそこでしか出来ないような表現っていうのをやっていたりすると。」
岡田「うん」
荻上「なので、やっぱりテレビにはテレビの良い所がある。ネットにもネットの良い所があるんですけど、ラジオでしかない魅力というのがあるからこそラジオが好きだなという風には思いますね」
岡田「なんかもっとこうした方がいいのにとか思うことはありますか?」
荻上「ラジオに対してですか?まぁ今は、なんと言ってもその…第二のラジオ離れ期に来てると思うんですよね」
岡田「(笑) 流石、だね。なんかネ(^^)」
荻上「(笑)」
岡田「第二期とか(笑)」
荻上「(笑)それっぽいですよね」
岡田「(^^)それっぽいよね」
荻上「第一期が先程言ったテレビが登場したことによってマスメディアの座を奪われて行く。そうした時期がラジオにはあったんですけれども、でもラジオはなんだかんだ言ってそれを乗り越えたと思うんですよ。でも今第二期のラジオ離れの時期が来ている。で、ラジオ離れが何故起きているのかと言えば、テレビの次に新しく登場して来たメディアということで、インターネットに今その座を奪われいるというのが一つですよね」
岡田「うん、そうですね」
荻上「で、もう一つは不況によってですね、広告費なども片落ちしていますので、やはり面白い事やろうとしてもちょっと体力が落ちてしまっているなという面があるわけですよね。お客を獲りに行こうと思っても体力がない。獲りに行こうと思ってもお客自身が、他のメディアに目を向けてしまっているので中々ラジオに向いてくれない。こうした二重苦三重苦の状況が今のラジオにはあると思うんですよ」
岡田「うん」
荻上「ただ、例えばいろんなラジオ番組がインターネットのウェブサイトを使って、こんなゲストの方に来ていただきましたとか、あるいはツイッターなどのメディアを活用してファンとのコミュニケーションの場を設けたりとか、一度インターネットに奪われそうになったお株を、インターネットを逆に活用してしまうことによってラジオの魅力をより広げる為に使っているというような番組がとても増えたと思うんですよね」
岡田「うん」
荻上「で最初ラジオもなんだかんだ言って抵抗してたんですよ。ネットに取られてたまるかとライバル視していたんですが、まぁライバル視するのではなくて旨い所を互いに吸い合おうと、いうような仕方でラジオが進化しようとしている、そういった状況に今あるので、こうした流れをより加速させればいいのにっていうふうには思いますね」
岡田「うーん」

   *   *   *


緑色のラベルジャックダニエルは何ですか

岡田「荻上さんてさあ、なんでも話せる?」
荻上「なんでもは話せないですねぇ」
岡田「(笑)なんでもは話せない」
荻上「ジャカルタの事とか訊かれても困りますからね(笑)」
岡田「(笑)…メディア論ってどっからどこまでなんですか?」
荻上「あー。メディア…」
岡田「ラジオについては結構調べたんですか?その第2期第3期ってそれ自分が見てて感じたのを整理していってる感じですか?」
荻上「あー、でもメディア論っていうのは、一つは歴史研究なんですよね。各メディアが50年代に日本に登場して、60年代にバーッと売れてとかっていう風に、どのメディアがどんな歩みをおって今に至るのかっていうのを追って行くのが、一つのメディア論の基本的な方法なのでテレビとかラジオとかインターネットとか新聞、あるいは電話とかですかね、そうしたメディアの歴史みたいなものは学生時代に結構叩きこまれたりはするものなんですよね」
岡田「うんうん」
荻上「ただ、最近メディア論っていうふうな一括りで切れないようなところもあってですね、例えばインターネットっていうことをメディア論で語ったとしても、インターネットでも、メールと特定のウェブサイト、mixiとかモバゲーみたいなウェブサイトもあれば、ツイッターもある。そういったものを一つのメディア論で語ることって無理ですよね。」
岡田「うーん」
荻上「なので、インターネットはこうだよね、みたいなひと言で括れないような状況があるからこそ、世の中にある技術でしかも人間のコミュニケーションに介入するものは、ひとまず全てメディアなんだと捉えた上で一個一個丁寧に見て行くっていうことをしなくちゃいけないなと言う風には思ってますね」
岡田「大変な量になりますよね?一個一個丁寧に見ていて…」
荻上「うーん。そうですね、でも今ちょうどあの、僕らアラサーで、アラサーの今、日本人っていうのは子どもの頃からゲームたくさんしたりとかですね、」
岡田「うんうん」
荻上「で、テレビがあってビデオがあって、今度はDVDがあって、インターネットが出て来てっていう風に、いろんなメディアが登場して発展して行く様っていうのをリアルタイムで、生で見てるわけですよね。そうしたメディアについて語るのは、もちろん自分の体験から語ることも出来るわけじゃないですか、それに加えていろんな歴史とか他の人の使い方とかそうしたものを分析して観察した上で語れば、わりと同世代の方とかだと、あのメディアってこうだよねって語ると、結構小難しいような話をしてるかのようで、そうそうそう、そうだよねみたいな話が通じ易い状況にあるんで、そんなに難しい作業だとは思わないし、」
岡田「うーん」
荻上「メディアが好きだからメディアについて語りたいと思うんで、ラジオが好きだからラジオについて語る、ネットが好きだからネットについて語る」
岡田「じゃあ、オレは、あのー、自分の世代だからか知らないですけど、僕ら世代って29とか30、27から34ぐらいかなー、」
荻上「アラサーって感じですよね」
岡田「アラサー世代が、すごい面白いと思ってて、で、この時代がきっと何かを変えて行くと呼ばれる世代になってほしいとね、勝手に願ってるんですけど」
荻上「はい」
岡田「アラサー世代って先程言いますけど、ご自分で何世代って名前付けますか?」
荻上「自分でですか?」
岡田「自分でっていうか、この…なんだろう、30ぐらいの、」
荻上「うん」
岡田「いろいろこう…変化をして来て、いろいろ出来上がって来て、週休二日制味わいだしたのもオレらからだし(笑)みたいな、分かんないけど、ゆとり教育始まり出したのも自分たち世代だし、それがダメで変わっていろんな社会の現状も見て、」
荻上「はい」
岡田「ちょうど高度経済成長してから日本が変わった時代を見て来て、でやっぱちょっと違ったよね、追い求めて来たとこ違ったよねって、…地震も起こって」
荻上「起きましたねぇ」
岡田「やっぱちょっと変わって行かなきゃいけないよねって見た時に、それを荻上さんから見るとどういう世代なのかなって…」
荻上「そうですね、特にゆとり教育とかメディアの話とかいろいろ切り口はあると思うんですけど、広く見ると僕は基本的にはやり直し世代だと思うんですね」
岡田「ほー、やり直し世代…」
荻上「つまり今まで、例えば政治的なこととか、あるいはそのメディアの抱えているいろいろな問題にしても、問題点があるっていうことも散々指摘され尽くしてるわけですよ。で、され尽くしてされ尽くしてされ尽くした結果、皆が無関心になってしまってるっていうのが、今の現状だと思うんですね。」
岡田「うん」
荻上「例えば、東日本大震災の際に明らかになった原発事故があったわけですよ。で原発問題っていうものは、特に今の若い人たちっていうのはそもそもそういった争点があるということ自体を忘却していたというか、忘れていた、隠していたというか、見て見ないようにしてきた」
岡田「うん」
荻上「見て見ないようにしたというか、そもそもあることを知らなかった。」
岡田「うーん」
荻上「そういうふうに、いろいろな問題点が今までの社会には存在してきたんだけれども、上の世代が論点化してきたその論点化の仕方じゃあ全然解決して来なかった。しかし今は多くの若者、僕たちを含めたアラサーより下の世代っていうのは論点の存在そのものを知らないような状況にあると。しかしこのまま放置しておくと、原発事故にも象徴されるようにいろいろな問題というものが明らかになって、ダメになって、で日本そのものが危険に犯して行くというような状況にあると思うんで、そうした論点を一個一個問い直していって議論をやり直して行くっていうことが、多分求められてると思うんですね」
岡田「うん」
荻上「例えばメディア論に関連して言うならば、メディア論ってちゃんとした学問としてのメディア論とは別に、特定の世代の人たちが語るなんとなくメディア論ってあると思うんですよ」
岡田「うん」
荻上「それは例えばゲームばかりしてるとバカになるとか、活字を読まないとバカになるとか、上の世代の人たちが体験してきたメディア体験っていうのを一つ絶対的な物だと捉えた上で、下の世代はそれと違うことをやっている。そんな違うことをやっていたら、あいつらは俺達より劣るに違いないっていうようなタイプの議論がずーっと積み重ねられて来たんですね」
岡田「うんうん」
荻上「で、そうした議論ばかりが独り歩きして行った結果、この国はメディアに対する教育っていうのを殆どされないような国になっているんですよね」
岡田「うん」
荻上「普通こういった国っていうのは先進国ではなかなか考えにくい。で、例えばテレビが登場してもう50年以上経つ。あるいはラジオがもうすぐ100年近く経つと。でインターネットが約20年から15年ぐらいですかね、それぞれ歴史を経て来てるんですけれども、どのメディアもそれについて教育しようと言った時に、方法論がこの国には全くないんですよね。で、例えばインターネットが登場して、ネットを通じて犯罪に巻き込まれるかもしれないし、書き方一つで他人を傷つけてしまうから加害者になる可能性もある。では子どもたちにメディア教育をしっかりしましょう、インターネットについて教えましょうと、年長世代の方はよく話されるんですよ」
岡田「うん」
荻上「まずそう言ってる人たちがネットについて知らない。なので教える人がそもそもいない。で、そういった人たちも、じゃあもっと慣れてるテレビとかラジオについて教育出来るかと言えば、出来ないと。そういうふうになんとなくすごく分かりやすい新しいメディアはダメで、古いメディアはOKなんだ、みたいな単純化された議論ばかりに慣れてきた結果、メディアについて考えるための知識、知性っていうものを損なってきたような歴史がある。こういった歴史っていうのはいろんな論点について言えるので、そうした考え直しは様々な数多な点でして行かなくちゃいけないなぁというふうには思ってますね」

   *   *   *


どのようにphonogrpahを作るのですか

岡田「僕の願い言っていいですか?」
荻上「はい」
岡田「いい評論家を、集めてほしいです」
荻上「うん」
岡田「(笑)なんていうか、いい評論家悪い評論家、いっぱいね、あの、いろいろあるんだと思うんですよ」
荻上「うん」
岡田「あんまりまぁ、明言は避けますけど」
荻上「はい」
岡田「いい評論家悪い評論家がいて、でも、きっといろんな人の為の評論家がいていいと思うんですけど」
荻上「うん」
岡田「でも実際評論家が思う、質のいい評論家ってある、」
荻上「はい」
岡田「と思うんですよね。この人はホントに質のいい評論家だ、みたいな人たちが集まっていて、そこには質のいい評論家しか入れないグループみたいなのがあって、選ばれないとメンバーには規定されないみたいなのがあると、やっぱ僕らは、あ、ここの人たちは信用出来るっていうのがあると、その情報って真実になって行くと思うんですよ。きっとね。」
荻上「うん、そうですね」
岡田「皆が、周りが、そこの人たちが言うんだったら、その言う事が真実であり、あ、これはホントに本物かもしれないって言われるような場所があれば、きっとなんか俺ら信じれるんだけど、評論家自体がバラバラに言っていて、例えば商売的なことで書かざるを得ないとか、」
荻上「はい」
岡田「これはもう褒めざるを得ないとか、分かんないけどなんか、色々あるからこう書きます、みたいなことってあるじゃないですか」
荻上「ありますね、御用評論家もいたり…」
岡田「なんかだから、まとめてくださいよ、若いんだから(笑)」
荻上「(笑)ザックリと投げましたね」
岡田「ザックリとだけど、やっぱ評論家の…ねぇ、人で29歳で嬉しいじゃないですか」
荻上「はい」
岡田「こんだけ論客がわーって出て来る…」
荻上「今おっしゃられたことって、まさに実は今僕、やってる最中なんですよね」
岡田「あっそうなんですか!?」
荻上「あの、僕『シノドス』という会社を、社会学者の芹沢一也という者と経済学者の飯田泰之という者と3人で会社を作ってまして」
岡田「うん」
荻上「で僕は評論家ですが、残り二人は経済学者と社会学者で、まぁ言論の、特に若手の研究者や評論家を集めた発表の場、プラットフォームと言いますかメディアを今作ってるんですね。で、例えば政治とか社会について考える時に、今世の中に出てる雑誌とかってたくさんあると思うんですよ、そういうことについて考える雑誌」
岡田「うん」
荻上「ただそういった雑誌って軒並み平均年齢が40、50を超えてるんですね。これは読者の購買層ですね。読者の購買層が40、50を超えているということは、書く言葉書かれる言葉も40、50に向けて書かれるわけじゃないですか、当たり前のことながら。」
岡田「うん」
荻上「しかしながら、その40、50の人が考える社会と、20代30代の人が考える社会とでは時々ぶつかる問題っていうのがあるわけですね。例えば年金問題に然り、社会保障の問題について然り。上の世代が例えば特定のお金を貰い続けていきたいっていうことを一つのメリットと考えるならば、下の世代はそれを払い続けたくないというものがもしかしたらメリットになるかもしれない。そうしたその政治的争点が様々にあるにも関わらず、若手の研究者とかが集まる媒体というのが今までなかったわけですよね」
岡田「うんうん」
荻上「なのでまずそれを作りたいっていうのが、一つあってですね、そうした会社を作りました。で、さっきやり直し世代っていうふうに言ったんですけど、評論の世界では何をやり直さなくてはいけないかと言えばですね、今まで評論の世界でやられて来たことって、大体その、文明評論とか文化評論が殆どだったわけですよ。つまりまぁ、人間はどんどん劣化して行ってるとか、町がどんどん輝きを失って行ってるとか、なんとなくこう、ふんわりとした雰囲気でザックリとした社会をこう…分析してるっていうのが評論家のお仕事だったわけですよね。ま、誰でも出来るじゃねえか、そんなことと。で、そうしたお仕事がわりとずーっと続けられてきたんですけど、今は事実ベースと言いますか、根拠ベースの議論をしない限り、説� ��力を持ち難いような社会になってるし、そういった社会を歓迎すべきだっていうのが、そうした論客をまとめている一つの理由ですね」
岡田「うーん」
荻上「数年前までテレビでは散々と、何か殺人事件が起きて、それで何かワイドショーなどが騒ぐ度に、若者がキレやすくなったとかですね、若者が凶悪化したとかですね、少年犯罪が増加しているって話が…」
岡田「言われた世代ですよね(笑)」
荻上「ええ、言われ続けて来ましたよね」
岡田「ちょうど、キレる14歳とか」
荻上「そうですね。僕らキレる世代でしたよね(笑)」
岡田「(笑)」
荻上「で、そういうこと散々言われて来たんですけれども、わりとその学問とかに触れ出していろいろ調べるような年代になって確認をして行くとですね、全然キレてないんですよね、僕ら世代というのは。」
岡田「うん、まぁ、中にはね、」
荻上「中にはいるけれども、」
岡田「どの時代でもキレる子どもはね、」
荻上「そうなんですよ、どの時代でもいる。ただし、統計的に見ると僕らの世代というのは、殺人も件数は低いし、凶悪犯罪と呼ばれるものも発生件数自体がそもそも低いと。しかしながら何故、僕たちの世代ばかりがキレやすい危険だというふうに言われて、しかもその原因が、例えばニュータウンだ、例えばゲームだ、例えばテレビの見過ぎだ、等等等…とかね。そうした風にさらされたのかっていえば、単に皆さん事実に基づかない議論をしていたから、そっから先の議論というのも、やれテレビが悪いとか、よく分からない議論に続いて行ったなぁと。そんなところから出される議論の解決策に全く効果なんてあるわけがないわけですよね。で、そうした議論が僕たちになんか役に立ったかと言えば、全く役に立ってこなかったと� ��う歴史があるので、こういった歴史をまぁ、次の下の世代にこう…受け継がせて行くことだけはしてはいけないだろうと、いうことは常々思ってますかねぇ」
岡田「うん」
荻上「なので事実ベースで、特定の分野についてだけ信頼をおけるような評論家とつきあうというのではなくて、様々な分野をこなしながら様々な専門家同士が語り合いながら、社会を少しずつ寛容していく為の方法っていうのを徹底的に議論する場っていうのをこれから作って行くっていうのが課題になるんじゃないかなと思いますね」
岡田「『シノドス』をちょっと、もうちょっとメジャーに、」
荻上「はい」
岡田「こう、いっぱいの、なんか会員制みたいにして、」
荻上「はい(笑)」
岡田「(笑)分かんない、あの、あれですよ、あのー、評論家の人たちがなんか、質のいい情報を、評論家も認める場所にぜひして行ってください」
荻上「そうですねー、ま、それが出来なかったら僕は終わりですからね(笑)」
岡田「(笑)」
荻上「がんばりますけど、はい。」

   *   *   *


岡田「なんで評論家って名乗ってるんですか?」
荻上「他に名乗り様がないからですかね。学者でもないし、でもライターじゃないしっていう結構…うん、引き算でそこを選んだ感じですかね」
岡田「(笑)なんかいい言葉ないんですかね?と思ったんですよ。評論家っていうと、なんかいろいろ幅も広いし、難しいなぁと思うんですよね」
荻上「悪口に使われたりしますよね」
岡田「そうそう」
荻上「あいつ評論家ぶりやがってみたいな」
岡田「なんだろうなぁ…例えばさっき言ってた今の現状を知らない世代だ、じゃそれを知ってくれっ!て言って真実を書いていく…それはジャーナリストじゃないですか」
荻上「はい」
岡田「皆知ってほしい。実はこうでこうでこうだから皆知らないのはなんで知らないんだこれを知ってほしい。っていうのって多分ジャーナリストって呼ばれるんだろうなと思うんですよ」
荻上「はい」
岡田「でもそういうこともしたいわけですよね?」
荻上「そうですね、うん。」
岡田「…だし、じゃあ評論家…人を評する、物語を、なんかいろんな物を評するとかっていうのを評論家って言うのか」
荻上「うん」
岡田「なんか僕らが思ってる評論家っていうのと、評論家の方が思ってる評論家ってちょっとズレがある気がする」
荻上「うーん」
岡田「それが、なんか一つになれば評論家っていうのがもっと分かりやすいのかなって、今しゃべってて思ったんですけど…」
荻上「あーなるほどね。うーん、評論する人たちはいろんな方がいるので一括りには出来ないですけれども…」
岡田「まぁいろんな人がいますからね、」
荻上「でもそれぞれ頭の中に、世の中もっとこうなった方がいいのになっていうアイデアとかイメージがあって、それを実現するにはいろいろなニュースについてコメントを挟んで行くっていうような人たちが非常に多いとは思うんですよね。で、そういう人たちは決してジャーナリストでもない。研究者でもない。学者とジャーナリストの中間にいるのが、僕は評論家のイメージがわりと近いんですけれども、そうした評論家の仕事は、結局何をしているのが仕事かと言えば、世の中の価値をいろいろ組み替える仕事だと思うわけですね。すごく分かりやすく言えば、テレビのコメンテーターっていうのがいると、そういった人をバカにする人もいるし、実際バカな人もたくさんいると。」
岡田「(笑)フフフ」
荻上「そういったコメンテーターが、ニュースについて解説をした時に、ニュースについての解説員っていうのが別にいたりするわけですよ。これはこれこれこういうニュースなんですって解説をする。それに対して何かしらの意味づけをする、この世界はもっとこうなって行った方がいいとか、この社会はこういうふうなところが落ちているからこういうことが起きるんだと。で、そういった意味づけとか価値づけが、9割方評論家が的外れなものばっかりに球を投げてるので、今わりと信頼を得られないような部分があるんですけれども、わりとその、事実に即したような仕方で、ホントはこうなってるんだけど中々報じられないよねっていうような、皆が知りたがっているけれども意外と知らなかったっていうものを提示してあげて� ��く。で、皆に関心を実際に抱かせることに成功する人、それが多分評論家だと思うんですよ。」
岡田「なんかあの、評論とかなんだろう、こういうので最終的な目標ってあるんですか?」
荻上「最終的な目標ですか、」
岡田「評論をして行くっていう、意味とか意義とかもそうですけど」
荻上「うーん、例えば自分がどういった人になりたいっていう意味での目標とはまた別に、評論することでどんな社会を実現したいかっていう目標が多分あると思うんですよね」
岡田「うんうん」
荻上「その目標で言えば、大きく分けて二つあって、一つはこの世界を少しでも寛容にすることと。拡張すると言いますか、いろんな人にとって生き易い社会を実現するために、議論を整理したりだとか、物事を発信して行ったりするということ。でそれを実現するためには、もう一つの役割りというか目標があって、今まで声を出せなかった人。あるいは今まで一度も語られて来なかったような人たちの声を聞き、それをまぁ代わりに伝えて行くっていうことをする。この二つが評論家としての長期的な自分の仕事なんじゃないかなと思いますかね」

岡田「ごめんなさい、今日ラジオの話なんですけど」
荻上「あ、いえいえ。」
岡田「全然ラジオ…、なんか繋がってるかな?」
荻上「強引にちょっと繋げますと、例えば僕はインターネットなどを通じて、そうしたメディアを作っているわけじゃないですか。あるいはそのラジオなどではですね、そうした若手の方とかを積極的に使って、こういった人いますよという形で育てて行くような場所としてもあるわけじゃないですか。」
岡田「うん」
荻上「で、テレビっていうのはそうやって上がって来た人たちの、悪く言えば旨い所ばっかりかっさらって行くような所でもあるけれども、良い所はしかしそういうふうに実力のある注目すべき人たちっていうものを、こんな人がいるんだよって形で世の中にどーんって押し出して行く役割りがあるわけですよね。で、例えば今のテレビとか、ラジオとか雑誌とか新聞とか、そうしたものでやってることって温いよねとか、もっとこうしたらいいのにっていうようなアイデアがあったら、それは例えばインターネットだとかあるいはラジオとか、そうしたところでお試しが割りとしやすくなってる状況でもあると思うんですよね」
岡田「うん」
荻上「そうしたお試しをした上で、やっぱりこっちの方に注目すべきだっていうような可能性とか希望みたいなものが、ラジオとかインターネットとかそうした場から生まれて来たら、それがまぁどんどんどんどん拡大して行くっていうことは実際に起こっているわけですよ。なのでそういったメディア自体がいろいろな役割りを使い分けて行く中で、中で議論される論点とか論客とかを生成変化というかですね、どんどんどんどん新陳代謝を促して行くような排気に今ようやくなっているような気がするんですよね。」
岡田「うん」
荻上「テレビはプッシュすればその人が売れる、それ以外の人は誰がいるか分からないという状況じゃなくて、自分がこの人をプッシュしているからその人が今ラジオからどんどんオーバーグラウンドになってくる、応援するぜとか、やっぱりラジオのこういった番組でしか聞けないような生の声っていうのを聴き続けるぜみたいな、棲み分けをしながらより良い情報を獲得して行くっていうような選択肢は広がっているので、」
岡田「うん」
荻上「今の関係は昔から比べれば全然豊かなメディア環境になってるというふうに僕は思いますけどね」

   *   *   *

岡田「これから10年間、」
荻上「はい」
岡田「30代の間に、こうして行きたい、こんなことやりたいっていうのありますか?こう変えて行きたいとか」
荻上「そうですね、まぁ一つは、信頼すべき評論家、信頼されるべきではない評論家、あるいは専門家、そうした人たちの腑分けというのが、今後どんどんどんどん進んで行くと思うんですよね。特に東日本大震災が起きて以降ですね、本当の事を言ってくれる人と、ウソを言ってしまうような人とか、よく分からないのに役に立たない人と、腕まくりをしてさっさと役に立った上でそれを報告してくれる人とか、メディアで何か情報発信をする人たちに対する価値づけっていうものがよりシビアになっていると思うんですよ。すごくこれはいいことだと思うんですよね。そういうようなリスナーとか読者とかそうした人を相手にしながら、書き手、論客、論点の更新っていうのを続々と進めて行くこと。具体的な数人の論客っていうのを� ��場させつつ、有意義な書き手というものの影響力をより拡大して行く為のお手伝いをすること。それがまぁ評論家で、かつ編集者でもある自分の仕事かなというふうに思いますね」

   〜  COLUMN  〜


岡田「さあ、ということで荻上チキさんとお話をさせていただきました。えー今日ね、テーマが『今ラジオができることって何ですか?』だったんですけど、まぁ、今日みたいな放送がきっとラジオができることの力なんじゃないのかなぁっていう風に思ったりは、しますねぇ。なんか、こう…どんどん変わって行けるし、やっぱインターネットとかとは違うのは文字だけではなくて、本人がしゃべる声だったりとか、ってなんかその人柄が出て来る感じもするんですよね。…荻上さんは、そうですね、スゴイですよね、20代で…まぁ30ですけど、評論家って名乗ろうって思えるのは逆にスゴイなぁって思うというか、うーん、なんかあんまりこう…自分の感覚では30ぐらいで物事全部� ��れるほど知らないし、いろんな事を論じる、評論するっていうので、やっぱ僕は現場を無視しちゃいけないと思っていて、自分の中でそれを論じるとか表現…ホントの意味で出来る人ってのはやっぱ現場を経験した後の人の気がしてるんですよね。やっぱこれが違うと思うとか、次の世代の人にこれ絶対頑張ってほしいとか、やっぱ言葉が言葉である内はあんまり良くなくて、言葉が哲学に変わった時に評論とかっていうのは歴史に残る、読み継がれて行くものになるんだろうし、…若い人がこういうふうに発言をして、いろいろ戦う事は良い事ですよね。やっぱ物事っていろんな意見があるから、若い人がもっとバンバン言うべきだと思うし、それに対しての上の意見っていうのもあるだろうし、きっとなんか上の人から学ぶこともホ� �トにたくさんあるし、上の人が下の人から言われて気づくこともたくさんあるだろうし、こういう論じたり評論したりっていうの、お互いの関係がいい関係を保てる状態をお互い知らないといけない気はしますけどね、物事を論じるには。なんか、きっちり論じる場合の終着点ってのがあったら、いつもいいのになぁって、見てて思ったりしますけどね」

   *   *   *

荻上「そうですね、僕が今のラジオに求めることは、とにかく縛られないことですよね。実験の場があってこそ、世の中にいろんな処方箋っていうものを提示するための準備期間っていうのがあると思うわけですよ。で、特定の方向に、皆が一斉に適応して行ってしまうと、状況が変わってしまうとそこの前の秩序に適合してしまったが故に、あと� ��状況に適合出来ないっていうことが起こると思うんですよね。で、ラジオが例えば、テレビとかインターネットが登場したことによって、メディアとしての役割りがないのだからもうなくしてしまえ、あるいは、テレビとかネットとかと同じ様なものにしてしまえっていう形で、ラジオらしさっていうものをなくしてしまうと、そこでしか育てられないような人材とか、そこでしか共有できないようなネットワーク、そこでしか温められないような論点っていうものを育てることができなくなってしまうと思うんですよ。なのでラジオは、ラジオらしさというのを決して捨てることなく、まあるくなることなく、いろんな実験っていうものを日々、あのーでたらめだというふうに言われようが、斜陽産業だと言われようがやり続けてほし� �っていうのが、僕の願いですかね」

   Guest  評論家・編集者  荻上チキ(おぎうえちき)

 



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