―トルンと並行してマリンバ(木琴の一種)の演奏活動もなさっていますが、小栗さんの楽器のキャリアについて教えてください。
一番最初に触れた楽器は、三歳くらいの時に母に教えてもらったピアノです。母は国立(くにたち)音楽大学出身の声楽家で、自宅でピアノと歌の教室を開いていました。小学校に入ったら器楽クラブに入ってアコーディオンなどを弾いて、小学校の終りにマリンバをやっていた友達にピアノ伴奏を頼まれてマリンバの発表会に出演したことがきっかけとなり、十三歳からマリンバも習い始めました。実は母が私の知らないところで既に先生と話をつけていたらしいのですが(笑)、先生に誘っ� ��頂いて習ってみようと思いました。中学校ではブラスバンドで三年間トロンボーンを吹いて、東京外国語大学に入学してからは、いろいろなバンドで遊び感覚でドラムを叩いていました。
それまではクラシック音楽をベースにした練習をしてきたので、自由なスタイルで演奏する、というのは全くやったことがありませんでした。その時に楽譜は読めないと言いながら、ギターなどの楽器を自由に操るような人達に出会い、自分が経験してきた音楽と全く違う世界にカルチャーショックを受けました。そういった中で、ソウル、ブルース、ポピュラーミュージックなど様々なジャンルの音楽に触れて刺激を受けました。
―普段はどんな音楽を聴いていますか?
いろいろなジャンルの音楽を聴きますが、普段の生活ではあまり音楽を聴かない方です。移動中や散歩しているときなども、周りから聞こえてくる音を聴いているほうが好きだったりします。
2.自分の好きなことをしていれば、道 は見えてくる
―東京外国語大学に進学されて、ベトナム語を専攻された理由はなんでしょう。
中学生の頃、マリンバの活動で中国を訪れました。とても仲の良い友達もでき、最初は全く言葉が通じなかったけれどマリンバを介して心が通い合っている感覚がありました。その友達に会うために毎年のように訪中コンサートに参加し、文通もして、英語も学校で一生懸命に勉強しました。
そうして語学や外国の文化への関心が高まり、高校生の頃の私は自然と東京外国語大学が第一志望校になりました。どの言語(学科)を受験しようかと考えたときに、自分はアジア人だからアジアがいいなとは思っていたのですが、交流をしていた中国については既に勉強している人が多く、街中のカルチャースクール でも習える言語ということもあり、大学で専攻しようという気持ちになりませんでした。そうした中、東南アジアは、日本と同じアジアだけれどよく知らないなぁ、と興味を抱くようになり、意識するようになりました。
その頃、仕事でよくベトナムを訪れていた知人から「ベトナムはいいよ」とアドバイスを頂いたり、テレビや雑誌でも「ベトナムは将来性のある国だ」とよく取り上げられていたことから、「ベトナムは今後さらに注目度が高まる国かもしれない」と思ったんです。
音楽がもともと好きなので、図書館に行って東南アジアの音楽に関する本も探してみたりしていたのですが、当時ベトナムの音楽に関する本がなかったことも興味を抱くきっかけになりました。まだ紹介されていないだけで絶対にその土地の楽 器はあるだろうし、もしかして面白いものが見つかるかもしれないな、と思って。それと私は一九九八年に入学したのですが、前年にアジア通貨危機でタイバーツが大暴落してタイの国内情勢は不安定、またインドネシアも紛争が勃発し治安が悪化している時期でした。だからもし留学をしたいと言い出したりした場合、安心して行かせられる国、という両親の意向もありました。そのようにしてなんとなくいろいろな情報が集まって、ベトナム語学科を受験しようと決めました。
トルンを勉強したくて東京外国語大学のベトナム語科に入ったと思われがちですが、トルンに出会ったのは入学した後です。大学に入学する時点ではベトナムに関する知識は全くありませんでした。どんな文字を書くのかも知らなかったぐらいです。
将来ベトナム語を使ってどんな仕事をしようということについても、はっきりとは考えていませんでした。
@活気あるハノイの街角の風景(2010年撮影)
―音楽家を目指していたのであれば、音大への進学は考えなかったのですか?
母は声楽家でしたけれど、音大に通って音楽家になる道を勧められたことは一度もありませんでした。音大を卒業した母は自分の経験から、毎日音楽ばかりやっているとせっかく好きだった音楽を嫌いになってしまいそうになることもあるし、視野も狭くなりがちだとよく話していました。「よっぽど才能があるか行きたいと思うのであればそういう道も良いけれど、大学は今あなたが一番興味のあることを勉強しなさい。もし将来的にやっぱり 音大に行きたいと思ったら、その時点で勉強して通学したり留学したり出来ると思うよ」と言っていました。私の性格についても「あなたはあれもこれも面白そうって何でも広く浅く知りたがるタイプだから、音楽家養成コースに向いていない」って言われて(笑)。
確かに音楽も好きだし、絵を描いたり見たりするのも好きだし、文章を書くのも好きでした。かといって芸術家になろうとも思っていませんでした。将来自分が仕事をする時に何が向いているのか自分でも全く分からなかったです。ただ今一番楽しいことや、やりたいことをやっていれば何か見えてくるんじゃないかって思っていました。
3.トルンとの出会いと、人との縁が運んできてくれたチャンス
―ベトナム語を勉強� �ているうちにトルンに出会ったわけですね。