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あなたが動かなかったことに感謝します|弁護士作花知志のブログ
今日は,1955年12月5日に,アメリカのアラバマ州で起きた出来事について,お話をしたいと思います。
お話の主人公は,呉服店で裁縫の仕事をされていた,当時42歳の黒人の女性の方です。
その頃のアメリカ南部は,人種差別制度の下,学校,交通機関,公共の場所のすべてが,白人用と黒人用に分けられていました。
そして,そのような政策に従い,当時のアラバマ州モントゴメリー市の市営バスは,白人と黒人の座る席が分けられていました。
白人は前の席に,黒人は後ろの席に座ること,さらに「二グロは前の席に座るべからず」と決められていました。加えて,白人席が満員の時には,黒人は黒人席を譲らなければならないとされていました。
そんな中,その女性,ローザ・パークスさんは,バスの前の席に座り,同乗していた白人から,どんなに責められ続けても,席を立たず,動かなかったのです。
白人のバスの運転手は,
"Well, I'm going to have you arrested."(逮捕してもらうからな)
と言ってローザ・パークスさんを脅したのですが,
彼女は"You may go on and do so."(どうぞ,どうぞ)と答えたのでした。
その結果,ローザ・パークスさんは,警察に逮捕されたのです。
ローザ・パークスさんの勇気を称える話は,瞬く間に広まりました。そして,運動を起こそう,彼女の勇気をシンボルとして社会を変えようではないか,という機運が高まりました。
その運動の代表者は,当時26歳であった,若き日のキング牧師でした。ガンジーの非暴力,非服従の思想に影響を受けていた彼は,ローザ・パークスさんの行動を,まさに非暴力,非服従の思想の現れとして,即座に支持を表明します。さらには,ジョー・アン・ロビンソンさんというアラバマ州立大学で英米文学教授をされていた黒人女性なども,それに続きました。
彼らは,ローザ・パークスさんの行動を称え,自分たちもその勇気に続くべきではないかと,社会に訴えたのです。
個人情報の盗難はどのように急速に成長していますすると,毎日4万人もの黒人の方々が,通勤・通学のために利用していた市営バスをボイコットする運動を始めたのです。彼らは381日間,ボイコット運動を続けたのでした。
そのような運動の中,市営バスの措置の適法性が訴訟として争われ,連邦最高裁判所は,1956年11月13日に,そのような市営バスによる座席の差別は,法の下の平等を定めた憲法に違反する,との画期的な判決を下したのです。
そしてキング牧師は,その後も公民権運動の中心となり,運動は全米へと広がり,1964年に,人種,皮膚の色,性別,宗教,出身国による差別を禁止した公民権法が成立するに至ったのです。
以前の記事「アメリカと虹」などでも書きましたね。アメリカ合衆国憲法に書かれている人権を享有する主体としての「人民」には,20世紀の半ばまで,黒人は含まれないと解釈されていました。19世紀の連邦最高裁判決も,その解釈を肯定していたのです。
そのような中,ローザ・パークスさんは,暴力も,武器を使うこともせずに,「二グロは座るな」とされていた席に座り,どのような嫌がらせをされても動かなかったことで,社会に影響を与え,連邦最高裁判所の判断を動かし,さらには社会を公民権法の成立まで導いたのでした。
法の支配は,力により社会のあるべき姿が決まるのではなく,法に従い,社会は動くべきである,という思想です。以前の記事にも引用しました,現在のアメリカ連邦最高裁判所長官であるジョン・ロバーツさんの,就任インタビューを見てみたいと思います。
「私が法律家としての活動で,一番感銘を受けたことは,弁護士としてアメリカ合衆国を被告とした訴訟の原告代理人を務めた時のことであった。
アメリカは,その有する武力では世界中のいかなる国をも屈服させることができる国である。
しかしながら,裁判所で,法を根拠として,論理を重ねることで,そのアメリカの立法上,行政上の過誤を追求すると,世界一の武力を誇る国が,単なる一私人に負けるのである。」
私の家に住んでいる人を調べる方法ローザ・パークスさんは,まさに自らが動かなかったことで,憲法という法の理念を,社会において実現されたのです。
当時42歳だったローザ・パークスさんは,その行動からちょうど50年後の2005年に亡くなりました。偏見と差別に,一人で果敢に向かっていった彼女の死に,アメリカ中が悲しみました。
そのローザ・パークスさんの追悼式が行われ,そこに,オプラ・ウィンフリーさんが参加されました。
オプラ・ウィンフリーさんは,ミシシッピー州生まれの黒人女性です。17歳の時に美人コンテストに参加したことをきっかけとして,テレビのトークショーの司会者として大変な人気を得た方です。映画『カラー・パープル』にも出演されました。
アフリカ系アメリカ人女性という自分自身のバックグラウンドを反映させた,社会の弱者の視点からの語り口が,とても人気の方です。
もうお分かりですね。オプラ・ウィンフリーさんは,まさにローザ・パークスさんの行動により変化した社会で,青春を,そして社会人としての生活を送ってきた方なのです。
そのローザ・パークスさんの追悼式でオプラ・ウィンフリーさんが行った追悼のスピーチが「あなたが動かなかったことに感謝します」です。その感動的なスピーチを引用させていただきます(上岡伸雄編著『名演説で学ぶアメリカの文化と社会』(研究社,2010年)197頁)。
「南部で育ちましたので,ローザ・パークスは私にとってのヒーローでした。
彼女の人生が体現する力と衝撃をきちんと認識し,理解できるずっと以前から,そうでした。
席を譲ることを拒否したこの黒人女性の話を,父が話してくれたのを覚えています。
そして子供心に,こう考えました。
『あの人は本当に大きい人に違いない』
少なくとも身長が百フィート(注:約3メートル)はあるに違いない。
私はこんな姿を想像しました。
逞しくて,強くて,白人たちを食い止める盾を抱えている。
地球温暖化を防ぐため、コンピュータの技術を行うことができます3つの事そして大人になって,大変光栄なことに,あの方にお目にかかる機会をいただきました。
そのとき,驚いたなんてものではありません。
私が目にしたのは小柄な,華奢といっていいような女性で,上品さと善良さが形となって現れたような人でした。
私はあの方に感謝の言葉を述べました。『どうもありがとうございます』と。
私自身のためにも,すべての黒人の少女のためにも,すべての黒人の少年のためにも。
黒人の子供たちは,それまで有名人のヒーローをもてなかったのです。
そのことを私はあの方に感謝しました。
この初対面のあと,私は気づきました。
神は偉大なことを成し遂げるのに,良き人々を使われるのだ,と。
そして今日,最後の感謝の言葉を捧げたいと思います。
シスター・ローザ,あなたはご自分の人生を奉仕のために,私たちすべてに奉仕するために捧げられた,偉大な女性です。
あの日,あなたがバスで席を譲るのを拒否した時,シスター・ローザ,あなたは私の人生の軌道を変えました。
そして世界中の多くの人々の人生の軌道を。
あのときあの方が座ることを選んでいなかったら,私は今日ここに立っていないし,私が毎日立っている場にも立っていません。
それは,よくわかっています。わかっています。わかっています。わかっていますし,そのことを称えます。
あのとき彼女がノーと言わなかったら―私たちは動かないと言わなかったら。
もう一度感謝の言葉を述べます。シスター・ローザ。
あなたは席を譲らずに一人の白人男性に立ち向かっただけでなく,バスの運転手に立ち向かっただけでなく,法律に立ち向かったというだけでもなく,歴史にも立ち向かいました。
400年ものあいだ,おまえたちは一瞥にも値しないし,まして考慮になどまったく値しない,としてきた歴史に対して,毅然と立ち向かったのです。
あなたが動かなかったことに感謝します。
そして,あなたが席を立たないと決心した瞬間,あなたは人間らしさを取り戻し,私達もその一部を取り戻してくれました。
そのことに感謝します。危険を顧みずに行動してくれたことに,感謝します。それがどれだけ大変だったか,考えることがよくありました。
当時の雰囲気を知り,あなたにどんなことが起こり得たかが分かっただけに,座りつづけることはどれだけ大変だったか。
あなたは自分の身の危険を顧みずに行動し,私たち全員の生活を改善してくれました。
私たちも動きません。
あなたの意志の強さに驚かされます。
今日までずっと,あなたの強さを賞賛しています。」
公民権法のない時代に,そして市の政策として白人と黒人の座る席が分けられていた時代に,とても小さな体で,たった一人でその社会の矛盾に向かっていかれたローザ・パークスさんの勇気。
その姿は,私達に,法の支配の理念は,力ではなく,その理念の実現を願う強い意志こそがそれを現実のものにするのだということを,教えてくださっていると思います。
ローザ・パークスさん。私からも,最大限の敬意と,そして最大限の尊敬の気持ちを込めて,お礼の言葉を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
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